ヴァルハラ神殿 Walhalla

Walhalla Regensburg 1900

1900年頃の絵葉書 In Wikimedia Commons

ドイツ・バイエルン州ドナウシュタウフ(レーゲンスブルク近郊)にある、ギリシャのパルテノン神殿を模した建物。管理人自身が訪れた場所ではないので、「八十年戦争の舞台を歩く」カテゴリではなく(舞台でもないですし…)、失礼ながら「がらくた箱」に分類しました。日本から南ドイツへのツアーでも、レーゲンスブルク(世界遺産)と一緒に組み込まれている場合もあるようなので、観光地としてもそれなりにメジャーどころではないかと思います。

参考: ドナウ川遊覧船 南ドイツ バーデン・ヴュルテンベルク州&バイエルン州観光局公式日本語サイト

1842 Grueber Walhalla anagoria

Bernhard Grueber (1842) ヴァルハラ内部
In Wikimedia Commons

「ヴァルハラ」はバイエルン国王ルートヴィヒ一世によって、紀元前から当代までのドイツの過去の著名人を集めた殿堂として建設され、1842年完成されました。ルートヴィヒは王太子時代からこの構想を持っていたので、もっとも早いものでは1807年から順次胸像が作られています。肖像画等でその人物の外見がわかる場合は彫像(109体+追加31体)、外見のわかるものが残されていない場合はプラークのみ(65枚)、計200人弱の人物がピックアップされています。

「ドイツ」の概念は時代によってかなり違うので難しいところですが、この場合の「ドイツ」の範囲はかなり広く「ゲルマン人」「ドイツ語話者」が選定基準のようです。しかし、オランダ語しか話してないのでは?という人物も含まれていることから、この「ドイツ語」の概念も「ゲルマン系言語」に近くだいぶ広いのではないかと思われます。

Mathieu Kessels, Portrait bust of admiral Maarten Harpertsz Tromp (1824), Walhalla , Regensburg

Mathieu Kessels (1824) トロンプ提督の胸像
In Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)

ということで、やっと本題。ヴァルハラの彫像の中には、八十年戦争時代の南北ネーデルランド人たちも何人か含まれています。当サイト内で扱っている三十年戦争の人物と合わせるとこれくらいです。ちょっと時代は後ですが、オランイェ公ウィレム三世(英国王ウィリアム三世)も含まれます。

個人的にはマウリッツが入っていたのは意外。弟のフレデリク=ヘンドリクはフランス語話者なのでアウト、ということなんでしょう。為政者や貴族・軍人だけではなく、文化人も多いです。現代でも、死後20年以上経った人物であれば、不定期に追加が可能です。追加されているのは作曲家が多く、文化人が中心です。

その他の人物のリストはこちらから。ヴァルハラで公式に用いている番号と対応した表はドイツ語ウィキペディアだけでした。単純なリストなら、日本語版にもあります。(ただし日本語版は英語版の翻訳なので、ABC順をカタカナに直しただけでやや見づらいです。)

Walhalla Wikipedia Die freie Enzyklopädie

ところで、なぜドイツで、ギリシャ神殿で、名前がヴァルハラなんだ?というツッコミは誰もが持ってしまうと思いますが、それが新古典主義です。そういう時代です。


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